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ひふみ神示データー | ![]() |
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五十黙示録(いせもくしろく)
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ひふみ神示 日月神示 ウィキペディアより 日月神示(ひつきしんじ)は神典研究家で画家でもあった岡本天明、1897年(明治30年)12月4日–1963年(昭和38年)4月7日に「国常立尊」(別名、国之常立神)と呼ばれている高級神霊より降ろされたとされる神示、神典である。原文はほとんどが漢数字、かな文字、記号の混じった文体で構成され抽象的な絵のみで書記されている「巻」も有る[1]。 その難解さから当初は書記した天明自身もほとんど読むことが出来なかったが、仲間の神典研究家の協力などで少しづつ解読が進み天明亡き後も妻である岡本三典の努力により、今では一部を除きかなりの部分が解読されたと言われている。しかし、一方では神示の中に「この筆示は8通りに読めるのであるぞ」と書かれている箇所もあり[2]解読法の一つに成功したという認識が関係者の間では一般的で、その為に仮訳と言う副題を添えての発表も有った。なお、日月神示の構成は本巻38巻と補巻1巻の計39巻から成る。別名「ひふみ神示」または、「一二三神示」とも呼ばれる。また、上記の他にも発表を禁じられている「巻」が13巻有り、天明は「これら未発表のものは、或る時期が来れば発表を許されるものか、許されないのか、現在の所では不明であります。」と昭和36年に語っている[3]。日月神示はその登場以来、関係者や一部専門家を除きほとんど知られていなかったが、1990年代の初め頃より神典研究家で翻訳家の中矢伸一の著作等により広く一般にも知られるようになって来たと言われている。
日月神示の降ろされた時代背景![]()
近衛文麿。写真は若かい頃のもの。近衛は第34、38、39代と3期にわたって総理大臣をつとめた。
第二次世界大戦も終盤に差し掛かった昭和19年(1944年)4月18日に今後の戦局を占う意味や日本の古代史の事を聞く目的もあって東京の原宿で扶乩(フーチ)実験が行われた。扶乩とは中国に昔から伝わる神霊の御神意をうかがう占い方法で、一種の自動書記現象であるが、この時の参加者は日本の古代史を研究していた修史協翼会[4]のメンバーや、陸軍少将の小川喜一等であった。その場において審神者(サ二ワ)[5]兼司会進行役をつとめたのが岡本天明[6]であったが、この時に降臨した神霊がその後に日月神示を天明に書記させていく国常立尊で、これがその後に続く機縁の始まりだと言われている。ただこの時には「日月のかみ」や「天之日月神」と名乗り国常立尊とは名乗っていない。この扶乩実験の後、終戦直前の昭和20年の夏のある日に軍関係者(青年将校達数名)が天明のもとを訪れ、それまでに都合3度の内閣を組閣しその後も隠然とした力と、軍部の考えとは正反対に独自の終戦工作を画策していたらしい元総理大臣経験者である「近衛文麿」に関して、将校達は「近衛は弱腰で役に立たない。このままでは日本は滅びるだけだ。そこで、御神霊の意見を是非うかがって、その返答によっては近衛の殺害も厭わない。」と述べ、かなり殺気だった雰囲気に包まれたと言われている。しかし、それは天明の賢断によって無事に回避されたという。その判断とは「軍関係者の望んでいる答えと御神霊の答えが違っている場合はどうするのか?それを聞かなければお伺いは立てられない」と天明が言った事に対して、軍関係者達に神霊の言葉に従うという内容の約束をさせた事であった。神霊の回答は「それはならぬ」だったという。この頃はまだ日月神示の解読は十分されてはなかった筈だが、軍人の一部にはすでにこれを信頼し神聖視していた者もいたらしい[7]。神示には日本の敗戦を明らかに書記されている部分があり、希望を失っていた軍人の中でも、前もってそれを知っていた為に終戦時に自殺を思いとどまった者も多く居たという。 日月神示が遂に降ろされる前述の扶乩実験の約2ヶ月後の6月10日に天明は知人であった高田集蔵[8]の誘いで千葉県印旛郡公津村台方(現・成田市台方)を訪れるが、そこに実験の時に現れた天之日月神を祀る延喜式内社で麻賀多神社の末社である「天之日津久神社」があった。 神典研究家であった天明でも天之日月神がいかなる神なのか、また、どこに鎮座している神なのかが扶乩実験後もしばらくは分らなかったと後に述懐している[9]。 ![]()
「天之日月神」を祀る麻賀多神社の末社である「天之日津久神社」。天明はこの神社に参拝後、日月神示の自動書記を神霊によりさせられた。
天明によると天之日津久神社を参拝し厚く御礼を申し上げ、社務所で一息ついている時に予期しない自動書記現象が起こったという。画家でもあった天明は画仙紙や矢立を常に持ち歩く習慣がありこの時も例外では無かったが、急に右手に激痛を感じ(天明の言葉によれば、右腕に焼火箸を突っ込まれたような激痛だったという)、矢立と紙を取り出したところ自分の意思に反して猛烈な勢いで筆が走り意味不明の殴り書きをした。以前から霊的体験が豊富で自らも霊媒役等を務めた経験がある天明は、右腕の激痛時にこれらは自動書記の前触れかもしれないと瞬間的に思ったという。 これが後に日月神示と呼ばれる神示、神典でこの日が発現の重要な日となった。書記を終えた時には先程までの右腕の激痛は嘘のように消えていたという。その後も神示が降りてくる時には右腕が痛くなり、書記が終われば治まるということの繰り返しが続いたと言われている。 なお、この時に書記されたものが日月神示の第一巻である「上つ巻」(うえつ巻)の第一帖及び第二帖であった。 日月神示原文と解釈麻賀多神社の社務所で天明が最初に自動書記で書かされた原文は右のようなものであった。「二二八八れ十二ほん八れ ㋹の九二のま九十の㋹のちからをあら八す四十七れる」。これは次の通りに読めると言われている。「富士は晴れたり日本晴れ 神の国のまことの神の力を現す世となれる」。続いて「卍も十も九も八きりたすけて七六かしい五くろうのない四かくるから 三たまを二たんにみかいて一すしのま九十を十四て九れ四 いま一十九十六あるか 九の九六八三たまを三かいておらぬ十こせぬ 九の四八まって二十十七一九六てある」。これについても、読み方は「仏もキリストも何もかも、ハッキリ助けてシチ難しい御苦労の無い世がくるからミタマを不断に磨いて一筋のマコトを通して呉れよ。今一苦労あるが、この苦労はミタマを磨いておらぬと越せぬ この世始まって二度とない苦労である」。 解釈としてはマコトの神が世に出現してすべてを助けて何の苦労もない理想的な世界に立て直していくが、その前には人類は未だかつてなかった程の大災厄を迎えなければならない。助かる為には身魂(心、精神、身体)を絶え間なく磨きつつ備えよ。磨いていなければ助かることが出来ない。と言う内容だと考えられている[10]。これらの帖を手始めに昭和19年から天明が亡くなる2年前の昭和36年まで17年間にわたり神示は書記されていく。日月神示は「人間の生き方」、「正しい食生活について」、「夫婦のありかた」、更には「霊界」の実相についても書記されているなど非常に広範囲にわたっての記述が見られるが、未来に関するいわゆる「予言書」的な記述部分も見られる。日月神示はそのほとんどが数字や記号で書記されているが、その理由を神霊自らが神示の中で、 「高度の霊人の文字として、殆ど数字のみが使用されている場合もある。数字は、他の文字に比して多くの密意を蔵しているからである」(二日んの巻第十三帖)や「天人同志の文字は数字が多いぞ。天人の言葉はマコトであるから、只一言で万語を伝え得るぞ。」と「星座之巻」第十八帖、第十九帖で述べている。同様な事は霊能者で有名なスェーデンのE.スウェデンボルグも自著(参)で「天人の文字は数字ばかりであった。」と書いていて興味深いものが有る。日月神示より以前に他で出された物ではこのような事は見られず、神霊が「今まで他に出て居たのは皆、神示先(ふでさき)ぢゃ。ここは神示(ふで)ぢゃ。キの神示ぢゃ」(カゼの巻第六帖)と書記させている[11]。また、「アメの巻」第十三帖でも「外で判らん根本のキのこと知らす此の方の神示ぢゃ、三千世界[12]のこと一切の事説いて聞かして得心させて上げますぞや。落ち着いて聞き落としのない様になされよ。」とも語っている。 また、一方ではこの神示は単に現界に生きる人間のみならず、天界や霊界、また、その他多くの世界に住んでいる存在(神、竜神、天人、天使、霊人達)にも等しく与えられているらしい次のような記述も見られる。「この神示は、神と竜神と天人天使と人民たちに与えてあるのぢゃ」と「極め之巻」第十八帖で述べている。 三千世界の大道国常立尊の言葉日月神示の内容は極めて広範囲にわたり、そのそれぞれに多くの記述が見られるが最も大きな特徴は神霊自身が「黄金の巻」第二帖で「今迄の日本の宗教は日本だけの宗教。この度は世界のもとの、三千世界の大道ぞ、教えでないぞ。」と述べているように神示を宗教でもなく教えでもないと語っている事であろう。その為に既成宗教の信仰のあり方や教えとは大きく異なるものが多く、それらを否定している記述も随所に見られる。例えば既成宗教では有名な教えのひとつとされる「右の頬を打たれたら、左の頬も出しなさい」と言う教えについてでは日月神示を書記させたこの神霊は次のように述べている。「右の頬をうたれたら左の頬を出せよ、それが無抵抗で平和の元ぢゃと申しているが、その心根をよく洗って見つめよ、それは無抵抗ではないぞ、打たれるようなものを心の中にもっているから打たれるのぞ。マコトに居れば相手が手をふり上げても打つことは出来ん、よくききわけてくだされよ。笑って来る赤子の無邪気は打たれんであろうが、これが無抵抗ぞ。世界一家天下太平ぢゃ、左の頬を出すおろかさをやめて下されよ」(極め之巻第十五帖)。 同様に既成宗教では神の「しるし」や「証し」として重要視される奇跡であるが、これについても完全に否定、いくつかの帖で言及し[13]、奇跡やこれらを求め信じる人に警鐘を鳴らしている。また、他の多くの宗教が修行の一環として断食の必要性やその意義を説いているが日月神示では断食すること自体を厳しく戒めているのも注目される[14]。「正しい食生活について」では「食物を食べるのも喜びであるぞ。正しき食物正しく食べよ。更に喜びふへて弥栄へるのぢゃ。悪い食物悪く食べるから悪くなるのぢゃ。何も彼も同様ぞ。人民は喜びの子と申してあろう。罪の子でないぞ。うれしうれしの道あるに、何故歩まんのぢゃ。」(春の巻第五帖)と語っている。 しかし、一方で多食や肉食についてはこれを戒めており、次のような帖もある。「食物節してこそ、ささげてこそ、運ひらけるのぢゃ。病治るのぢゃ。食物、今の半分で足りると申してあらうが。遠くて近いものヒフミの食べ方して見なされよ。運ひらけ、病治ってうれしうれしと輝くぞ。そんなこと位で、病治ったり、運開ける位なら、人民はこんなに苦しまんと申すが、それが理窟と申すもの。理窟悪と申してあるもの。低い学に囚われたメクラ、ツンボと申すものぞ。」(冬の巻捕帖)[15]「四ツ足を食ってはならん、共喰となるぞ、草木から動物生まれると申してあろう、臣民の食物は五穀野菜の類であるぞ。」(碧玉の巻第八帖)。なお肉食についてはそれを戒めつつも、次のようにも書記させている「獣の喰ひ物くふ時には一度神に献げてからにせよ、神から頂けよ、さうすれば神の喰べ物となって、何たべても大じょうぶになるのぞ」(天つ巻第五帖)。 「人間の生き方」に関しては次の記述が代表的なものであろう。 「臣民にわかる様にいうなれば、身も心も神のものざから、毎日毎日神から頂いたものと思えばよいのであるぞ、それでその身体をどんなにしたらよいかと云ふこと分かるであろうが、夜になれば眠ったときはお返ししてゐるのざと思へ、それでよく分かるであろうが。身魂みがくと申すことは、神の入れものとして神からお預りしてゐる、神の最も尊いとことしてお扱いすることぞ」(富士の巻第十四帖)。「目覚めたら其の日の生命お預りした事を神に感謝し、其の生命を神の御心のままに弥栄に仕へまつる事に祈れよ。神は其の日其の時に何すべきかに就いて教へるぞ。明日の事に心使ふなよ。心は配れよ。取越苦労するなよ。」(日月の巻第十五帖)と語っている。 更に夫婦のありかたについては次のように述べている。 「愛は養はねばならん。夫婦はいのちがけで、お互にきづき合はねばならんぞ。夫婦愛はあるのではない。築き上げねばならんぞ。つくり出すのぢゃ。そこに尊さあるぞ。喜びあるぞ。」(春の巻第二十六帖)。「家の治まらんのは女が出るからぞ。夫立てると果報は女に来るぞ。」(黄金の巻第七十二帖)、また「妻にまかせきった夫、夫にまかせきった妻の姿となれよ。信仰の真の道ひらけるぞ。一皮むけるぞ。岩戸ひらけるぞ。不二(富士)晴れるぞ。」(黄金の巻第九十九帖)、更には「夫婦けんかするでない。夫のみいかんのでない。妻のみ悪いのでないぞ。お互に己の姿を出し合ってゐるのぞ。よく会得せよ。」(月光の巻第九帖)とあり、お互いに信頼しきった夫婦関係が大切で信仰の礎であると語っている。 霊界と現界との関係日月神示には霊界についての記述も多く見られるが、特に「二日んの巻」(ジシンの巻)や「龍音之巻」は、ほとんどがこれらについての記述である。主なものを以下に箇条書きで記す。
神の知らせと終戦天明に日月神示が降り始めてから、まだ1年も経たない昭和20年の4月か5月のある日に(天明はこの頃は上記した東京、千駄ヶ谷の八幡神社で留守神主をしていた)、神前に座ると神霊の「天明、此所をやめい」と言うお告げが有り、これはそれから3日間にわたって連日続いたという。その後、天明が留守神主を辞職した直後の5月26日に米国軍の焼夷弾が本殿に落下し、危ういところで天明は一命を救われたという[20]。左記の事実は岡本三典が天明から直接に聞いた話として三典の著書(『日月神示はなぜ岡本天明に降りたか』)(参1)に記されている。 前述のように日月神示の書記が始まったのは、第二次世界大戦が終結する約1年2ヶ月前の昭和19年6月10日からであるが、この数日後に早くも枢軸国側と日本の敗戦を告げているらしい記述が見られる。「上つ巻」第四帖(参2)(書記日、昭和19年6月13日)では「ドイツもイタリアもあてにならぬ、世界中一つになりて㋹の国[21]に寄せて来るぞ。それなのに今のやり方でよいと思うてゐるのか。」(原文ではドイツは卍、イタリアは一十と書記されている)、また、同巻第十一帖(書記日、昭和19年6月19日)でも「東京も元の土に一ときはかえるから、その積りでゐて呉れよ。神の申したこと違はんぞ。」と述べている。更に終戦の約2カ月前に書記された「松の巻」第七帖(参3)(書記日、昭和20年6月23日)では「偉い人皆俘虜(とりこ)となるぞ。夜明け近くなったぞ。夜明けたらなにもかもはっきりするぞ。夜明前は闇より暗いぞ慌てるでないぞ。」とあり、間もなく戦争が終わるらしい事と軍事関係者を中心に指導者達が戦犯として逮捕、収監されるらしい事がこの時点ではっきりと述べられている。なお、上記した終戦時に自殺を思いとどまった軍人達の中にはこの記述を知っていた者もかなりの人数がいたと言われている。神示にはまた、敗戦後の復興や経済的な発展、そして日本人の精神的な凋落ぶりを指摘していると思われる帖も有るという。「アメの巻」第十四帖(参4)(書記日、昭和20年12月18日)では「今度の俘虜(とりこ)まだまだぞ、何れ元に帰って来るから、元に帰って又盛り返して来るなれど、またまた繰り返へすぞ。」や「|三の巻」(うみの巻)第四帖(参5)(書記日、昭和22年8月14日)でも「出てきてから、又同じ様なこと繰り返すぞ、今度は魂抜けてゐるからグニャグニャぞ、グニャグニャ細工しか出来んぞ、それに迷ふでないぞ。」とあり、これらは敗戦後の復興の反面、精神的に退廃する社会や無気力な人間が多く現われて来る様子を書記させたものだと言われている。また、「黄金の巻」第五十九帖(参6)(書記日、昭和24年12月7日)では「金で世を治めて、金で潰して、地固めしてみろくの世[22]と致すのぢゃ。」と語られているが、これは近年興った「バブル景気」とその崩壊を指しているのではないかと考えられている。 未来に関しての記述国常立尊と過去の予言者達日月神示には未来に関しての記述も多く、上記の軍人達がこの神示を拠りどころにしていたのも戦争の行く末やその勝敗を知りたかった事も大きな理由のひとつだったと思われる。神示の中ではこれから起こるらしい大災厄や戦乱を「大峠」や「三千世界の大洗濯」[23]と呼び、それらは現界に生きている人間のみならず霊界等も含めた全ての世界に等しく起こるとされ、神霊の言葉によれば「三千世界すべての大建替」になるという。また、洋の東西を問わず、予言者と称される人間が過去に幾人か現れて世界の終末を説いているが、それらも国常立尊と呼ばれるこの神霊の仕組みであったと神霊自身は語っている。「一火リの巻」(ヒカリの巻)第四帖(参7)で「世界国々所々に世の大洗濯知らす神柱現はしてあろが、これは皆この方の仕組ぢゃから皆仲良う手引き合ってやって呉れよ。」とあり、時代を超えて古くからこの神霊の働きがあったものと考えられている。なお、この先に起こるらしい未来の出来事やその対処について、神霊は「この先どうしたらよいかと云ふ事は、世界中金の草鞋(わらじ)で捜しても九九(ここ)より他分からんのざから、改心して訪ねて御座れ。」(松の巻第五帖)(参3)や「世が引繰り返って元の神世に返るといふことは、神神様には分って居れど、世界ところどころにその事知らし告げる神柱あるなれど、最後のことは九(こ)の神でないと分らんぞ。」(下つ巻第二十三帖)(参8)、「あちこちに臣民の肉体かりて予言する神が沢山出てゐるなれど、九分九厘は分りて居れども、とどめの最后(最期)分らんから、この方に従ひて御用せよと申してゐるのぞ。砂糖にたかる蟻となるなよ。」(天つ巻第四帖)(参9)と語っており、高級神霊でもその全てが、今後に起こる未来の出来事を知っている訳ではないらしいという記述が見られる[24]。また、「みろくの世」と神霊が呼ぶ理想世界が来る前には、こうした、いかがわしい予言者や神懸りした者が多く現れて、世の人を惑わすらしいと記されている次のような帖もある。「夜明け前になると霊がかりがウヨウヨ、勝手放題にまぜくり返すなれど、それもしばらくの狂言。」(星座之巻第十八帖)(参10)で書記させている。 三千世界の大洗濯と大峠神示には過去にも世の建替は6度あったとあり、今後に起こるとされる大建替で7度目だという[25]。そして、これが最後なのだとも書記されている。過去6度のそれぞれについては全て現界のみの建替であった為に、すぐに元に戻り根本的な大建替にはならなかったのだという。そして、今後に起こるとされる大建替では過去にあったそれらとは全く異なり、現界はもちろんの事、神界、霊界、幽界等も含めた全ての世界に起こり、天明が最初に麻賀多神社で書記させられたように、文字通り「この世始まって二度とない苦労」になるのだとされる。「松の巻」第十二帖(参3)では「前にも建替はあったのざが、三千世界の建替ではなかったから、どの世界にでも少しでも曇りあったら、それが大きくなって悪は走れば、苦労に甘いから、神々様でも、悪に知らず知らずなって来るのざぞ。」や「天つ巻」第二帖(参9)でも「これまでの改造は膏薬(こうやく)張りざから、すぐ元にかへるのぞ。今度は今までにない、文(ふみ)にも口にも伝えてない改造ざから、臣民界のみでなく神界も引っくるめて改造するのざから、この方らでないと、そこらに御座る守護神さまには分らんのぞ。」と述べ、今までの建替とは違い三千世界すべてに渡って起こる大災厄になる事と一部の高級神霊しか、それらの仕組みが分らないらしい事がここでも述べられている。 また、建替については次のように述べている帖もある。「建替と申すのは、神界、幽界、顕界にある今までの事をきれいに塵一つ残らぬ様に洗濯することざぞ。今度と云ふ今度は何処までもきれいさっぱりと建替するのざぞ。建直と申すのは、世の元の大神様の御心のままにする事ぞ。御光の世にすることぞ。」(水の巻第十二帖)(参12)とあり多くの帖で、今度の大建替があらゆる世界に及ぶ事が書記されている。 予兆上記の三千世界の大洗濯や大峠が来る直前にはいくつかの兆候があるのだと神示には書記されている。まず、天空に異常が現れ本来ひとつのはずの「太陽」が複数個見られる様になるという。また「月」にも異常が現れ太陽はその色が「黒く」月は「赤く」なり、空も赤く染まるのだという。また、北から軍事攻撃されるのが[26]、その始まりになるとも書記されている。これらは次のように述べられている。「北から攻めて来るときが、この世の終り始めなり、天にお日様一つでないぞ、二つ三つ四つ出て来たら、この世の終りと思へかし、この世の終りは神国の始めと思へ臣民よ、神々様にも知らすぞよ。」(富士の巻第十六帖)(参13)。「月は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ、空はち(血)の色となるぞ、流れもちぢゃ、人民四つん這ひやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ。」(紫金之巻第五帖)(参14)と書記されている。天空の異変については、上記以外にも「宵の明星[27]が東へ廻ってゐたら、愈々(いよいよ)だぞ。天の異変気付けと、くどう申してあろがな。」(松の巻第十九帖))(参3)、更には「天の異変気付と申してあろが冬の次が春とは限らんと申してあろが。夏雪降ることもあるのざぞ。人民の邪気が凝りて、天にも地にも、わけの判らん虫わくぞ。」(夜明けの巻第三帖)(参15)、同様に「空に変りたこと現はれたならば地に変りたことがあると心得よ、いよいよとなりて来てゐるのざぞ。」(天つ巻第十三帖)(参9)とあり天や空の異変が見られるのだと神示には幾つかの帖で書記されている。また、「八のつく日に気つけて呉れよ、だんだん近づいたから、辛酉(かのととり)はよき日、よき年ぞ。冬に桜咲いたら気つけて呉れよ。」(下つ巻第三十帖)(参8)などでも書記されており、季節の異常なども大きな予兆になるのだという。 大峠上記した予兆の後に起こるとされる大戦乱や天変地異についての記述は神示の中に多く見られるが、戦乱については多くの国がひとつになって日本に攻めて来るのだという。また、時を同じくして天変地異なども起こると神示には書記されている。「富士の巻」第三帖(参13)で「メリカもギリスは更なり、ドイツもイタリもオロシヤも外国はみな一つになりて㋹の国に攻め寄せて来るから、その覚悟で用意しておけよ。どこから何んなこと出来るか、臣民には分かるまいがな。」と書記されアメリカ、イギリス、ドイツ、イタリア、ロシアなどの国の軍隊が日本に攻めて来るらしい事が述べられている。また、天変地異については「下つ巻」第二十八帖(参8)で「またたきの間に天地引繰り返る様な大騒動が出来るから、くどう気つけてゐるのざ、さあといふ時になりてからでは間に合はんぞ、用意なされよ。」や、更にはそれだけにとどまらず、「人民のイクサや天災ばかりで、今度の岩戸ひらくと思ふてゐたら大きな間違ひざぞ、戦や天災でラチあく様なチョロコイことでないぞ、あいた口ふさがらんことになりて来るのざから、早うミタマ磨いてこわいもの無いやうになっておりてくれよ、肉体のこわさではないぞ、タマのこわさざぞ、タマの戦や禍は見当とれまいがな、神のミコトにきけよ、それにはどうしてもミタマ磨いて神かかれる様にならねばならんのざ。神かかりと申しても其処らに御座る天狗や狐や狸つきではないぞ。まことの神かかりであるぞ。」(磐戸(一八十)の巻第七帖)(参16)とあり、本当の怖さは人間の戦争や天災、また、肉体などではなくタマ(魂)の災禍の怖さなのだという。同様に次のように書記されている帖もある。「戦恐れてゐるが臣民の戦位、何が怖いのぞ、それより己の心に巣くうてる悪のみたまが怖いぞ。」(富士の巻第七帖))(参13)と書記され本当の怖さは魂のそれだとここでも述べられている。なお、神示の中で書記されている天変地異については次のような災いが起こるとされる。
神の仕組みと魂の救済三千世界をひとつにまとめる事が今度の大神業なのだとされる[29]。この神業は人間の頭で消化出来るような小さな仕組みではないが、神示をよく読めば、人間にもある程度は分かるものだとも書記されている[30]。一方、これらの仕組みは不用意に知らせてはならないものだとも述べられている。 その他エピソード等
日月神示目次本巻
以下、第三十一巻から第三十八巻までの8巻は五十黙示録(いせもくじろく)と呼ばれている。 五十黙示録(いせもくじろく)
補巻
脚注[ヘルプ]
関連人物・関連項目参考文献
参考文献
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